初代自転車名人の思い出


ロックミュージシャン、そして初代自転車名人の忌野清志郎さんが、2009年5月2日午前0時51分、東京都内の病院で癌性リンパ管症のため死去された。
今回は急遽、記事内容を清志郎さんの話題に変更して書こうと思う。
私は自転車に出会う前から、忌野清志郎さんの音楽が好きで、ライブによく足を運んでいた。
忌野清志郎さんが自転車を始められた事を知った時、「自転車を続けている限り、いつか一緒に走ることができるんじゃないかな?」と、思っていた。
2003年の夏、シマノ鈴鹿ロードレースの20周年記念イベントとして、忌野清志郎さんがゲストで来られ、レース会場でライブをされたことがあった。
もちろん私は最前列でそのライブを観た。
清志郎さんは、ローラー台に愛車を乗せ、ペダリングをしながら、映画『茄子 アンダルシアの夏』のエンディング曲になった『自転車ショー歌』を熱唱!
その時の印象に残った言葉は、「やっと分かってもらえる人たちの前で歌えるヨ!」だった。
今でもその時の清志郎さんの笑顔は忘れられない。
『サイクルスポーツ 2003年10月号(P.28)』より
2003年シマノ鈴鹿ロード20周年記念イベント
清志郎さんが神戸チキンジョージでライブをされた際は、チームメイトと一緒にサイクルジャージを着て観に行った。
最近では、大阪城ホールでの、清志郎さん企画ライブ『ナニワ・サリバン・ショー』にも、よく行った。
そして私が最後に観た清志郎さんの姿は、2006年1月27日にNHKホールで行われた『soul of どんと 2006』だった。
思い出すとキリがないほど、、、。
でも、やっぱり一番忘れられないのは、私が学生の頃に初めて生で『RCサクセション』時代の清志郎さんを見た時のこと。
あれは、確か1988年の夏、大阪南港で開催された音楽野外イベント『SUPER JAM』だったと思う。
あの日、多くの出演アーティストの中で大トリを勤めることになっていた『RCサクセション』。
しかし、突然の雷雨!!
野外ライブはかなり危険な状態ということで、『RCサクセション』の公演は中止になり、観客は会場から出るように誘導され始めた。
一番、観たかった『RCサクセション』を観ることができないなんて。。。
しかし、雷雨は激しさを増していった。
観客が順次会場から出ている最中、突然、舞台から歌声が聞こえ始めた。
なんと、清志郎さんが強行ライブを開始したのだ!
スタッフが中止を案内する中、それに反するように舞台から演奏が流れる。
観客は、慌てて舞台のほうへ走りだした。
もちろん私も!!
激しい雷雨の中『雨あがりの夜空に』を熱唱!
もう、雨なのか涙なのか分からないものが私の顔中に流れていた。
予定より短いライブだったが、今でもあの歌声は心の中で響いている。
本当にファン思いの熱い人だった。
その時に購入したツアーパンフレット。
雨でドロドロになってしまったけど、その思い出の詰まった記念品となった。
『RCサクセション』ツアーパンフレット
そういえば、昨年、自転車専門誌『サイクルスポーツ』への連載が決まった時、清志郎さんが、前編集長の宮内忍さんと幼なじみだったことをすぐに思い出した。
 ■参考【八丁堀曇りのち晴れ/宮内忍さんコラム】
 幼なじみのキヨシロー君が”自転車名人”に選ばれた
 http://www.sportsentry.ne.jp/columns/columns.php?20050420
その時、少し清志郎さんに近づいたような気がして、とても嬉しかった。
だからこそ、一緒にサイクリングするという夢が叶わなかったことが残念でならない。。。
天国でも歌と自転車を続けてくださいね。。。
ウエツキチエコ
オフィシャルホームページ
めりなすネット
http://www.mrynasu.net/


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