阪神・淡路大震災から25年

この写真はは25年前の私と我が家。
家族3人、誰が犠牲になっても不思議ではないくらいひどい状況でした。
私も当時の母とあと2年で同い年に…。
あと2年であの頃の母に近づけるんだろうか??って今日はずっと考えていました。
これからは私が父と母を守っていかないと!

■1995年1月17日5時46分

阪神・淡路大震災を経験するまでは、小さな地震に恐怖を感じなかったけど、今では少しの揺れを感じただけで鳥肌が立つ。
あの日の記憶が今でも蘇ってくる。

25年前の1月17日、なぜか不安な気持ちがして眠りが浅かった。
そのせいか、あの瞬間、小さな揺れにすぐ気が付き頭から布団を被った。
すぐおさまるだろうと思った時、いきなり頭を振り回され、その後、数秒間の記憶は全くない。
気が付くと、身動きができない状態になっていた。
ベットに寝ていた私の周りは、大きなタンスが倒れ掛かっていてテントのようになっている。
おそらく、ベットに寝ていなければ、重いタンスの下敷きになっていただろう。。。
真っ暗で、部屋がどんな状態になっているのか全く分からなかった。

部屋の扉の向こうから、両親の呼ぶ声が聞こえてきた。
「ちえこ!ちえこは無事か!!!」
なんとかその声をたよりに、倒れたタンスの隙間を抜け出て部屋の扉の近くまで移動する。
しかし、家が傾いているせいでドアが開かない。
「お父さん!お母さん!助けて!ドアが開かない!!」
父と母が、力を振り絞ってドアをこじ開ける。
わずかな隙間から、両親の顔が見えた。
ドアの隙間から差し出された両親の手を握り締め、少し気持ちが落ち着いた。
それから家族3人でドアを押し開け、なんとか脱出する。
そのころ、少し外が明るくなってきた。
両親の足元を見て驚いた。
ガラスの破片だらけの階段を裸足で駆け上がり助けに来てくれたのだ。
母の頭からは血が流れていた。
その2人の姿を見て、何よりも先に私の所に来てくれたんだと分かった。

それから外に出てゾッとした。
周りの家はほとんど瓦礫と化していた。
地面も割れ、電柱は倒れていた。

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神戸経済新聞 編集長、神戸ジャーナル 副編集長、関西ウォーカー ライター、ラジオ関西 パーソナリティー、ワールドサイクル自転車コラム「くるくるわーるど」連載、自転車チーム「ナスファンクラブ」代表、めりなすネット 代表

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